いつもより一か月早い理事会です。
年末に社会福祉法人を目指すとしたら
必須要件の土地を購入することを決めました。
これは、もう数年前からの案件でしたが
いざ、購入となると
いろいろな審議が必要でした。
資金計画等は総会を通す必要があります。
ケアホームの資金計画
土地取得の資金計画等について
審議しました。
理事7名全員と幹事1名が出席しました。
2014年01月25日
2014年01月09日
挨拶まわり
茜の事業所は
岡崎市伊賀町で始まります。
昨日は岡崎聾学校へあいさつに行きました。
今日は、この伊賀町のご近所を回りました。
皆さん、『そうですか、いいことを始められますね。』
『ご丁寧にどうも』とか
手話を使うことが多いところになります、というと
『あら、私手話できないんで申し訳ないです。』など
暖かく迎えてくださいました。
ガス、水道、電気が通りました。
この後、消防設備
内部改装
光回線接続
備品の調達
看板設置
この建物に必要ないろいろなことが始まります。
岡崎市伊賀町で始まります。
昨日は岡崎聾学校へあいさつに行きました。
今日は、この伊賀町のご近所を回りました。
皆さん、『そうですか、いいことを始められますね。』
『ご丁寧にどうも』とか
手話を使うことが多いところになります、というと
『あら、私手話できないんで申し訳ないです。』など
暖かく迎えてくださいました。
ガス、水道、電気が通りました。
この後、消防設備
内部改装
光回線接続
備品の調達
看板設置
この建物に必要ないろいろなことが始まります。
2014年01月01日
あけましておめでとうございます。
みなさま。
あけましておめでとうございます。
昨年、夏休みにつくしっこの子どもたちのコミュニケーションの様子を
ビデオ撮りしました。
通訳者養成講座で、子ども集団がどんなコミュニケーションをしているのかを
知ってもらうためです。
でも、そのビデオ編集の時に普段、見過ごしていたけど
改めて切り取ってみて、深く思うことがありました。
『ろう手話』を、いろいろな手話の中から抽出したり区別したりする力は
私にはありません。日本語対応手話のような手話を使う日常です。
今、思えば聾学校で、放課後に生徒どうしやりとりしている手話は
特定の単語もなく(少なく?)みえて私に読み取りは不可能でした。
どうして、あれで通じるのだろう???
それを言語と思う先生は皆無でした。でもさすが部活動の先生は
そういう手話でコミュニケーションするのが得意な先生もいました。
さて、つくしっこの子どもたちは時代も変わり、
人工内耳、補聴器効果が明らかで、明瞭な音声でお話しする人もいっぱいいます。
司会の担当の時などは、音声中心で、それに手話をつけて話す話し方です。・・聴者みたい。
私が、4人でルールのあるゲームをする姿を撮影した時
3人は音声中心の児童。1人は音声は使わなく普段から手話だけの児童。
・・さて、ゲームはその場のリーダーが考えたルールで消しゴムを駒に使って
はじき落とすことを競うゲームでした。
そのルールの説明から、それは全くの音声のない手話だけの世界でした。
ルールを説明するという合図は、右手で注意を呼ぶしぐさ。
子どもたちは、うなずき、目線を合わせ、ルールを理解し
しかし、ゲームはごまかしたり、ずるをしながら
お互い注意したり、やり直したりして進行していきました。
小2、小3、小4の子どもたちでした。
すごいな!と。
この子たちのまわりには日常的にろう手話を使う人はいないはず。
でも、これはたぶんろう手話かまたはろう手話の玉子。
だから母語なんだ。集団があれば自然に産まれる。使いこなす。
ここに至って、スタッフがろう者でなければ支援できない領域があることがわかる。
今、小3くらいの子どもは、自分が聞こえないことには気づき始めるころ。
金澤先生は、ろうは、『ろうとして産まれるのではなく、ろうになる』と書かれている。
では、と思い、つくしっこのろうスタッフに聞いてみた。
障害があることを知った時ではなく「ろうとして誇りを持って生きようと思ったのはいつか?」
全員が大学時代と答えました。
大学時代にろう手話に触れたとき、
大学時代に全国聾学生懇談会にであったとき。
・・・・聾学校ではないんだ。
ろう児の放課後等デイサービスは、もしかしたら
ろうの誇りを知る素地となる出会いを用意できるかもしれない。
こんなに、自然に子どもだけのときには手話で話してる。
それに市民権が与えられる環境にしたい!
そんなことを考えたのです。
それが家族にとっても願いになるような啓発もしていきたい。
いろいろなプログラムを考えたい・・・
放課後等デイサービス10年は今や老舗です。老舗としての
落ち着く先が10年にしてようやく見えてきたような気持ちになっています。
というようなことを、昨年から考えていましたので
年の頭に
長々と書いてみました。

今年もよろしくお願いします。
あけましておめでとうございます。
昨年、夏休みにつくしっこの子どもたちのコミュニケーションの様子を
ビデオ撮りしました。
通訳者養成講座で、子ども集団がどんなコミュニケーションをしているのかを
知ってもらうためです。
でも、そのビデオ編集の時に普段、見過ごしていたけど
改めて切り取ってみて、深く思うことがありました。
『ろう手話』を、いろいろな手話の中から抽出したり区別したりする力は
私にはありません。日本語対応手話のような手話を使う日常です。
今、思えば聾学校で、放課後に生徒どうしやりとりしている手話は
特定の単語もなく(少なく?)みえて私に読み取りは不可能でした。
どうして、あれで通じるのだろう???
それを言語と思う先生は皆無でした。でもさすが部活動の先生は
そういう手話でコミュニケーションするのが得意な先生もいました。
さて、つくしっこの子どもたちは時代も変わり、
人工内耳、補聴器効果が明らかで、明瞭な音声でお話しする人もいっぱいいます。
司会の担当の時などは、音声中心で、それに手話をつけて話す話し方です。・・聴者みたい。
私が、4人でルールのあるゲームをする姿を撮影した時
3人は音声中心の児童。1人は音声は使わなく普段から手話だけの児童。
・・さて、ゲームはその場のリーダーが考えたルールで消しゴムを駒に使って
はじき落とすことを競うゲームでした。
そのルールの説明から、それは全くの音声のない手話だけの世界でした。
ルールを説明するという合図は、右手で注意を呼ぶしぐさ。
子どもたちは、うなずき、目線を合わせ、ルールを理解し
しかし、ゲームはごまかしたり、ずるをしながら
お互い注意したり、やり直したりして進行していきました。
小2、小3、小4の子どもたちでした。
すごいな!と。
この子たちのまわりには日常的にろう手話を使う人はいないはず。
でも、これはたぶんろう手話かまたはろう手話の玉子。
だから母語なんだ。集団があれば自然に産まれる。使いこなす。
ここに至って、スタッフがろう者でなければ支援できない領域があることがわかる。
今、小3くらいの子どもは、自分が聞こえないことには気づき始めるころ。
金澤先生は、ろうは、『ろうとして産まれるのではなく、ろうになる』と書かれている。
では、と思い、つくしっこのろうスタッフに聞いてみた。
障害があることを知った時ではなく「ろうとして誇りを持って生きようと思ったのはいつか?」
全員が大学時代と答えました。
大学時代にろう手話に触れたとき、
大学時代に全国聾学生懇談会にであったとき。
・・・・聾学校ではないんだ。
ろう児の放課後等デイサービスは、もしかしたら
ろうの誇りを知る素地となる出会いを用意できるかもしれない。
こんなに、自然に子どもだけのときには手話で話してる。
それに市民権が与えられる環境にしたい!
そんなことを考えたのです。
それが家族にとっても願いになるような啓発もしていきたい。
いろいろなプログラムを考えたい・・・
放課後等デイサービス10年は今や老舗です。老舗としての
落ち着く先が10年にしてようやく見えてきたような気持ちになっています。
というようなことを、昨年から考えていましたので
年の頭に
長々と書いてみました。

今年もよろしくお願いします。