128号は ろう教育がめざすもの が特集でした。
村上は、その中で「放課後等デイサービス」について書きました。
タイトルは
『すべてのろう児にあたりまえの放課後を』
です。
あたりまえの放課後・・・とはどんな放課後か
となりそうですが
日本に生まれ育ってる児童の水準において・・
というような意味です。
さて、その後
129号が送られてきました。
毎号、後ろの方に『ハガキで話そう』という
読者コメントがのります。
その中に、全国80名くらいの方からのコメントが載るのですが
1割くらいの方から、児童デイサービスについては良かった
とか
必要な支援だ
とか、反響がありました。
それがとてもうれしかったです。
原稿の一部載せます。
『つくしっこ』たちの思い
子どもたちは、学校ではきめの細かいプログラムのもとに常に集中した状態で過ごしています。『つくしっこ』に来ると、たががはずれたように、騒いだりケンカしたり、素の自分を出します。
『つくしっこ』はそういう子どもをそのまま受け止めよう、ということを大切にしてきました。一つでも多くの言葉を覚え使えるようになってほしい、という家族や先生の願いや期待は、いつもまだまだ足りない、と思われ続けているということです。
子どもは、自分はいつも何か足りない、背伸びしなければならないという体験を積み重ねてしまっています。
「ここではあなたの好きなことをしていいよ」「できる方法で気持ちを出してね」と学校や、家庭とは違う価値や評価の中で過ごすことができるということに最も心をくだいてきました。また、毎日行く場所であるということも居場所づくりには大切なことです。「きょうはつくしっこで〇〇をしよう。」「この話を〇〇としよう。」と思いや見通しをもって来ています。思いを持ち、実現することを考えてその通りにする、その時間は子どもたち自身のものです。誰かに決められたプログラムではない、ということがとても大事です。そして、思い通りにいかなかった、予想を超えて楽しかったという、結果を得て、多様な人間関係を体験し、「人はいろいろいて、価値もいろいろある」ということを知っていきます。
子ども達はコミュニケーションについては、学校で求められる国語としての表現と、つくしっこでの自分の思いを表す時の表現を使いわけています。言いたいことがあふれ出て、めちゃくちゃに出しているのに、スタッフも友だちも気持ちをしっかり受け止めてくれる・・満ち足りた体験になるのではないでしょうか。
その肯定的な体験を重ねていって欲しいのです。
2014年10月17日
2014年10月06日
里山資本主義
文庫本になっていたので
読み始めた『里山資本主義』
マネー資本主義の時代は終焉を迎えつつある。
いや、どうみても完全な行き止まりになってきている。
それだけではない、マネー資本主義のシステムでは
金融商品ばかり踊り狂い、地球温暖化への対策もできなければ
格差社会を止めることもできなければ
持続可能なエネルギー資源の開発もできない。
そんなわけだから、この経済活動の行きづまりの突破口に
武器を輸出しようとする。
原発を輸出しようとする。
それらが、未来を明るくする経済活動かどうか
常識で考えてもわかりそうなものなのだが。
結局は、世界の紛争がなくならないのは
武器を売る商人が暗躍している背景があり
武器は、必ず消耗してしまう商品だから
売るものがなくなったら武器を売っていればいいのだ。
過去には、戦争があればお金は動くということがあり
そうやって、日本は朝鮮戦争で経済を持ち直し
韓国はベトナム戦争で経済復興を遂げてきているのだから。
今や、直接武器を作って海外に売ろうとしている。
そんな方法ではなく
できるだけ廃棄物も出さなく、
温暖化を促進せず
縄文時代のように生きるわけではなく
一体どのような、社会を目指したらいいのか。
そこのところの出口を
初めて、理論化しての
里山資本主義 という提言、あるいは発見。
久しぶりにうれしい、明るい展望のある話でした。
障害者の作業所も里山資本主義に似ているところもあります。
分業をしなくて1事業所で完結をするとか
でも作業所単体では結局は、お金の収支の理論に
負けてしまいます。障害のある人の給料もなかなかあげられません。
それを、大規模化するとか、効率よい仕事の方法を探すとかではなく
事業の存在価値そのもので勝負できるような発想が必要です。
う〜〜〜ん。脳みそが発酵しそうですが、
何か道はないものか。
読み始めた『里山資本主義』
マネー資本主義の時代は終焉を迎えつつある。
いや、どうみても完全な行き止まりになってきている。
それだけではない、マネー資本主義のシステムでは
金融商品ばかり踊り狂い、地球温暖化への対策もできなければ
格差社会を止めることもできなければ
持続可能なエネルギー資源の開発もできない。
そんなわけだから、この経済活動の行きづまりの突破口に
武器を輸出しようとする。
原発を輸出しようとする。
それらが、未来を明るくする経済活動かどうか
常識で考えてもわかりそうなものなのだが。
結局は、世界の紛争がなくならないのは
武器を売る商人が暗躍している背景があり
武器は、必ず消耗してしまう商品だから
売るものがなくなったら武器を売っていればいいのだ。
過去には、戦争があればお金は動くということがあり
そうやって、日本は朝鮮戦争で経済を持ち直し
韓国はベトナム戦争で経済復興を遂げてきているのだから。
今や、直接武器を作って海外に売ろうとしている。
そんな方法ではなく
できるだけ廃棄物も出さなく、
温暖化を促進せず
縄文時代のように生きるわけではなく
一体どのような、社会を目指したらいいのか。
そこのところの出口を
初めて、理論化しての
里山資本主義 という提言、あるいは発見。
久しぶりにうれしい、明るい展望のある話でした。
障害者の作業所も里山資本主義に似ているところもあります。
分業をしなくて1事業所で完結をするとか
でも作業所単体では結局は、お金の収支の理論に
負けてしまいます。障害のある人の給料もなかなかあげられません。
それを、大規模化するとか、効率よい仕事の方法を探すとかではなく
事業の存在価値そのもので勝負できるような発想が必要です。
う〜〜〜ん。脳みそが発酵しそうですが、
何か道はないものか。