2017年07月28日

相模原事件一周年雑感

凄惨な事件から一周年が過ぎ、マスコミでも
さまざまな角度から、検証したり、事故後の取り組みを紹介したりする
記事や、報道がされています。

聾学校の中学部にいたときに
重複クラスを受け持っていた私がいつも
思っていたことがあります。

小学部では理屈抜きで
「みんな仲良く」するものだと教えられ
それに従っていた生徒も
中学生になったら
自分の価値や尺度を持ち始めて
重複クラスの生徒と行事の時どうやって付き合えばいいのか
体育祭など顕著で、仲間に入れたら負けるかもしれない
それならば、勝つことを目的としなくていいのか?
いや、勝つことが目的。
どうやって仲間に入れる?本当はいやだ。

また、友だちどうしでも
うそを言ったり、約束を破ったりする生徒は
もう友だちではない!とけんかや無視やいじわるが始まる。

それらは、外の世界が見えてきたためであるが
同時に自分についてはまだ無知で振り返ることができない
そんな段階なのだ。

中学生になったら
『じゃんけん民主主義』ではいけないんだな、
背景を知ったり、みる角度を変えたり、価値の多様性を学んだり
そして何より、その人まるごとを知り自分の中の感情と
すり合わせていく行為が必要なんだな、と。

重複クラスとどこまで共同できるかは
母集団に力があるかないかによって決まる。
母集団の力はどうやったら高まるのか。教員の
実践にかかわってくる。

成熟した社会で障害児、障害者を語るとき
社会の方に障害がある、と私ども法人は思っているので
障がい、とひらがなにはしません。
昔、東京都知事が重度の人たちの施設を見学して
『この人たちに人格はあるのかね?』と聞いたという。
  逆に聞きたい。『あなたの人格はどれほどのものですか?』と。
国会の先週あたりの集中審議を見ても
 『この人たちに人格はあるのかね?』と私はものすごく天に向かって聞きたい。
つまりは
自分への振り返りだ。
あふれる情報、垂れ流しのマスコミの価値観、圧迫感の強い達成への要求
そういった社会に今、自分が置かれていることがよくわかり
一線を引いてよく生きている人々には
自明のことなのだけど、共に暮らしていくことは。












posted by tukusi at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 思うこと