木曽川福祉会の祭り会場で
かつて一宮ろう学校で、同僚だった理科のM先生に会えました。
村上が一宮ろう学校にいた9年間、間近でその
授業を見させていただきました。
板倉聖宣氏が提唱した、仮設実験授業で
村上もこんな風に教えてもらったら、化学の周期律表も
暗記ではなく、よく理解できたのに・・と思ったものです。
近況を話しているとき
現ろう学校の先生がかけよってきて
『もしかして、M先生ではないですか!
一度、お会いしたいと思っていました。伝説のM先生ですよね
今も、いろいろ語り継がれています!』
そしてその時話題になったのが
牛の頭を一頭、ドラム缶に入れてぐつぐつ煮て
骨格標本を自ら作ったという話。
M先生
『その場所が、幼稚部棟にわたる屋根付きの廊下で
幼稚部さんから、
牛のつのがドラム缶から見えていてゆげがもうもうたちこめて
子どもが落ち着かないからやめてくれ!って言われてなぁ・・』
同じく牛ネタですが、腸を運動場いっぱいにのばして
実際の腸の長さを見たとか、
(教頭が臭いからやめてくれ、と飛んできたとか)そんな授業が伝説になっているようです。
M先生と、
「今は、そんな授業はできないな〜
どんなささいなことも、事前計画提出で、雨が降ったからやろうとか
そういう発想もゆるされないものな〜」
「子どものふところが小さくなるよね。おとながまわりや社会に事象に
従うだけだと、主体感が弱くなる」
というような話をしました。
なにしろ25年も前の話です(悲)
2018年06月06日
木曽川ほのぼのまつり
海を渡ったエイミー
皆さんは、
合唱ミュージカル『ぞうれっしゃ』は
どこかで、目にしたり、その歌を聞いたことがあると思います。
このぞうれっしゃを創作した、藤村記一郎氏作曲・指揮で
このたび
『海を渡ったエイミー』という
同じく合唱ミュージカルが
6月2日、3日と名古屋で初演されました。
太平洋戦争の20年くらい前に、日米の関係が悪化していくのを
懸念して、アメリカから1万体を超える人形が
日本の学校に送られた民間交流の話です。
戦争がはじまり、敵国の人形を学校は
焼却処分した。でも、それをしないで
こっそり隠し持って人形を守っていた人たちがいて
1980年ころからあちこちの学校やゆかりの人から
発見され、それをもとにまた民間交流が始まってる
そのことを歌にしたものです。
大垣在住の大学時代の友だちに、
母親が学校から譲り受けてその人形を宝物にしていた関係で
新聞に出たり、アメリカとの交流をしている人がいて
自分も歌うからとお誘いを受けて初演を鑑賞できました。
総会議事録を送付する仕事を、朝7時から片付けて。
忙しくしていても、音楽や美術や舞台を鑑賞する生活を
しないとだめだな〜〜
久しぶりの心の栄養となりました。
合唱ミュージカル『ぞうれっしゃ』は
どこかで、目にしたり、その歌を聞いたことがあると思います。
このぞうれっしゃを創作した、藤村記一郎氏作曲・指揮で
このたび
『海を渡ったエイミー』という
同じく合唱ミュージカルが
6月2日、3日と名古屋で初演されました。
太平洋戦争の20年くらい前に、日米の関係が悪化していくのを
懸念して、アメリカから1万体を超える人形が
日本の学校に送られた民間交流の話です。
戦争がはじまり、敵国の人形を学校は
焼却処分した。でも、それをしないで
こっそり隠し持って人形を守っていた人たちがいて
1980年ころからあちこちの学校やゆかりの人から
発見され、それをもとにまた民間交流が始まってる
そのことを歌にしたものです。
大垣在住の大学時代の友だちに、
母親が学校から譲り受けてその人形を宝物にしていた関係で
新聞に出たり、アメリカとの交流をしている人がいて
自分も歌うからとお誘いを受けて初演を鑑賞できました。
総会議事録を送付する仕事を、朝7時から片付けて。
忙しくしていても、音楽や美術や舞台を鑑賞する生活を
しないとだめだな〜〜
久しぶりの心の栄養となりました。