10月2日
山手線で視覚障害者の方が電車と接触し死亡した。
ブラインドサッカーの元選手であるという報道でした。
このニュースは、その続編などで
新聞でもネットでも "自殺の疑い"と書かれているのを見ました。
ホーム柵や安全管理の話の前に、自殺の疑いというのは
腑に落ちないと思って気になっていました。
目撃者が自分でホームのほうに歩いて入っていった、と話したことに
基づいた記事でした。
しかし、数日後別のメディアで
「当時、反対側の電車が入ってきたタイミングで
彼は、その電車を乗る電車と思って前にすすんだのではないか」という
見解を載せているのを見ました。
それは心から納得する見解でした。
晴眼者は、案内板などでどちらの方向から電車が入ってくるのかわかった上で
音がどちらから聞こえてくるのか判断しているのはないだろうか。
視覚障害者のお話を聴いたとき、
『一生懸命に自分のすすむ方向に向かって歩いているとき
私を見つけたからといって、大声で呼ばないで欲しいんだよね。
その音(声)が聴こえた瞬間、自分のすすんでいる方向がわからなくなる。』
悪意があって声かけしているのではないので、
ご本人は笑いながらホントに困る・・・
とおっしゃっていましたが。
そのように、視覚障害者にとっては音が方向を指し示すだけではなく惑わす材料にもなること
そういうことは、「自殺かも?」と記事を書いた記者には想像できないことであったのでしょう。
大きな扱いではないので亡くなられた方の名誉のために
その記事の誤った見解についての修正がどこかで広報されることもないまま
忘れ去られていくのでしょうか。
その方の『無念』を思っています。