2022年07月29日

ニコニコハウス 石川先生

ニコニコハウスは
緑区にある大きな社会福祉法人です。
大きな社福ですが、
私の名古屋聾学校時代に私より一足早く退職した石川武彦先生という方が
立ち上げた社福です。
在職中 社福の立ち上げについて
『こんなに(10cmほどの厚みを示して)書類を作って提出したところだ。』
また『ぼくはね、役所の担当には僕たちの方で、議員とか使うことはしないからそのつもりで
一緒にやりましょう、と言ってやっているんだ』とも。
そういう不偏不党に動くことがその時、たぶん大切なことなんだなぁ〜と
なんとなく思ったので、
このNPOを立ち上げた時渡邊とは
「特定の党と結びつかない、必要になったらすべての党に働きかける。
信仰は個人の自由だけど、特定の宗教とはかかわらない、ということで進めましょう」
という約束をしてスタートしたのを覚えています。

  その後、宗教とは確かに戦いがありました。
  エ〇〇でしたが、法人での出会いを元に、利用者さんの家庭を訪問されるのでまいりました。
  そんなことから、設立して以降、名簿という物を作っておりません。
  今思えば、あの時も名簿はなかったんだけど、年賀状とかの交換で知ったのかな〜

その石川先生の訃報を知りました。
京都大学のご卒業で、愛知の県立高校の先生をしていたのですが
受験の勉強とか教えているのがいやになった、と聾学校に希望で来られたと
聞きました。
そんな方と、私の人生の一時期同じ場所で過ごせたことは
ありがたい出会いでした。
ご冥福を祈ります。

posted by tukusi at 14:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 普段の暮らし 

第7波の2

あちこちで感染の報告が入ります。
事業所の安全のためにはPCR検査には、たどり着けないです。
なぜなら、発熱したり症状がある人だけですね。
濃厚接触でも、自分が判断したのではだめです。
保健所から言われました、という人しかだめです。
保健所は、クラスターにしか対応している暇はないので・・・
そうすると、
 職員にうそを言ってPCRを受けてとは言えませんので
抗原検査ということになります。
抗原検査は
・感染してから2〜3日経たないと出ないことが多い。「すぐに検査してもだめ」と言われました。
!!!BA-5は接触してから2〜3日で発症するのに、これは役立たずですね。

そうすると、無症状のキャリアをあぶりだす手段はないということです。
予防しかない。予防は、今はとにかく、空気の対流。
サーキュレーター、扇風機、空気清浄機 などかな。
戸外が一番いいんだろうけど、戸外では熱中症になる。

7波が収まったら、この大変さを忘れて何も対策されず。
秋が来たら、夏の暑さをわすれてほっとして
そうやって、滅亡への歩みをしているのだろうか・・私たち人類は。



  
posted by tukusi at 14:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 普段の暮らし 

2022年07月21日

第7波

暑い暑い夏の夏休みがスタートしました。
児童のデイサービスにとっては一年間で一番忙しい
嵐のような毎日。

このタイミングで第7波です。
行動制限をしないけど
感染に関する決まりは、今までと同じ。
シオノギ製薬の薬の承認も見送られました。
すると、私たちの手元にあるのは抗原検査くらい。

感染者がひとり出ると、またつながらない保健所に頑張ってつなげて
濃厚接触者を特定し、何日か休んでもらい、
職員は感染したかどうかは、無症状では診察してくれず
抗原検査で、自主判断し。

無症状者がいるこの感染症では、どの方法も非科学的にならざるを
得ません。

悩みの夏が三度(みたび)です。
posted by tukusi at 10:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 普段の暮らし 

2022年07月01日

きょうされん

認定NPOの実地調査に入った、名古屋市市民活動支援室の方が
経理の科目に
きょうされん 物資」とあるのが
まったくイメージがつかめない、何のことか?
と聞かれたとのこと。
たまたま、今がちょうど「夏の物資」として
みなさまに、カタログ購入をお願いしているのでそのカタログを見せます
と、総務の職員は申していましたが、説明はそれだけではないですね。
きょうされん、の前身 共同作業所連絡会は
1970年ごろに、名古屋市の「ゆたか作業所」に全国から
同じように無認可で作業所を運営する仲間が集まって
結成されました。
1980年代となると村上も、
勤務校の研修でも、自分でもいくつかの
作業所を見学に行きましたが
支える国の法律がない時代、本当に劣悪な環境で
収入源と言えば、下請け、空き缶のリサイクル (…今と変わらないか…)
ぼろぼろの借家で、卒業後の居場所を!という熱い思いだけを支えに
運営されていました。
採用された職員は自分の給料も満足に出ない中、土日も休みなしに
バザーだ、販売だ、活動だと貢献していました。
きょうされんは、この加盟事業所が全国共通のカタログ販売を6月と12月に行って
それを、利用者さんのボーナスに充てよう、ということで
この物資活動を行ってきました。保育園やいろいろな団体でも行われていたことです。
法整備がされた今も重要な、収入源となっています。

きょうされんの歴史まで、なかなか事業所で学習することができません。
しかし今ありがたく受け取っているものは、
過去の多くの方々の運動のからの、GIFTです。


村上




posted by tukusi at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 普段の暮らし