2018年08月19日

8月no 還暦の教え子

教え子というのは、恐れ多い。
1976年頃・・40年も前
養護学校はまだ、義務化されておらず。。。その意味はわかりますか?
就学猶予とか就学免除とか言って
入学前の、当時だと肢体障害や全身性障害のお子さん親子と面談し
『あなたのところのお子さんは大変重度なので
学校に来なくてもいいですよ。』なんて通知を送り届けるという
まだ、日本はそういう国だったのです。
そんな時代に、当時高校生だった彼らと出会いました。
私は小学部にいたのですが、介護員で短大卒で20歳で入ってきた同僚がいて
彼らは18歳だったので、放課後一緒に卓球したりしたりしているうちに
旅行に行ったり、村上の実家にも来てもらったメンバーがいます。
全員肢体不自由です。通ってきていた地域も広域ですが
義務ではない時代、家族の並々ならぬ決意と後押しがあって通っていました。
彼らは、卒業後紆余曲折ありましたが
4人のうち、3人は公務員として勤め上げ(うち一人は在職中)、一人は家業を継いだのでした。

集まろう!と声かけをいただいて、なぜか女子側は教員
男子は生徒だった人たち。

会をまとめた、Mさんは市職として管理職まで勤め上げたのだけど
全身性の麻痺があり、他にも脳性マヒ特有の運動障害、言語障害が。
苦労しただろうとは思うけどそれら全部笑って話す。
 ‘おれの、最終学歴は養護学校だぜ‘ なんて。
ひとりは首がすわっていないし。
お食事の接客の方が、食べられるのかはらはらしているのがわかるのだけど
いやいや、もう白髪頭まで生きてきて
首がすわってなくてこの世のことでできないことはないよ。

還暦か!と思って、プレゼントを用意したらまだ59歳だった、みんな。
気を使って、お茶のあとの請求書を
M君がこっちへ!と、言っているのに、介護員のNさんにお店の人が渡してしまった。
「いや〜、今日は全部良かったけど、最後にこっちが払おうと思ったのに。」
「S君が、レシートはM君に渡して!と強く言っていたんだけどね。」と私。
「ありゃ〜、首のすわっとらん障害者に間近で迫られて、びっくりしたんかい。
まぁ、それは気の毒なことやったな、それやったら仕方ない。」

今年は、夏はなぜか、大学時代の
新卒時代の、そしてその後の赴任した学校の
あちこちから、声がかかりました。
みんなそんな年なのですね。
でも、この集まりが一番刺激的でした。



posted by tukusi at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 普段の暮らし 
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