我が家ではない、正確には実家の森だが・・・
連休の1日を使ってようやく
神岡町 佐古
へ、行くことができた。
我が家は、林業をやっていたわけではないが
94歳で亡くなった祖父も、昨年亡くなった父も
山に杉を植えて手入れをしていた。
私が子どもの頃、有峰の国有林から
材木を伐採してトラックが運び出し、
植林をするということが大々的に行われていた。
標高600程もある、山深い寒村の林道は
いつもトラックが走っていた。
「木は楽しみやで。何年も、何百年も先に楽しみがある。」
祖父はそう言って、山に入っていた。
部落の道は「しんこう木材」という会社の私道だった。
そんな小さな集落で私は育った。
今、もう人は誰も住んでいない。
家は朽ち果て、人が通う家が2軒残っているだけだ。
けれども、昔植えた杉の木の山はそのままある。手入れができないので
林業組合に依頼して間伐材の伐採事業が行われたという。
どんなことになっているのか、ということで
母を連れて出かけた。
杉の木は大きくなる。景色が変わってしまっている。この部落跡地までの道は
右が切り立った崖。
道路は路肩がずりおちたりしていて、急こう配の急カーブ。
運転しながら、足が震えた。
国道41号から7キロほど、懐かしい土地にたどりついた。
湧水のおいしい水をいただく
山のいたるところに、山の神が祭ってあり、手を合わせながら
木材の輸入自由化は1964年に行われた。
それまで、父たちは本気で「今、木を切りだす。そして植林するサイクルを
守っていけば、ずっと仕事がある。」と私に語ってくれた時もあったのだ。
木材の自由化は非情だった。
あっと言う間に山には何の価値もなくなってしまった。
そうなってからも、祖父は毎日山に出かけ
下刈をし、枝打ちをしていつくしんでいた。
今、こうやって森林の中を歩くと
その空気、風、落ち葉、土 なんと豊かな営みと大きな懐が
私を包み込んでくれることだろう。
祖父がいるような気がする。
私自身ではこの森を守りゆく力はないことが残念でならない。
売る、売れるというお金の動きだけで経済を測っていては
捨ててしまうものがたくさん出てしまう。
この森の杉の木は、しかしそんな人間世界の動きには
関係なく豊かに大きく育っていた。
林業自由化から、50年がたつ。
