2014年05月05日

我が家の森

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我が家ではない、正確には実家の森だが・・・

連休の1日を使ってようやく
神岡町 佐古
へ、行くことができた。

我が家は、林業をやっていたわけではないが
94歳で亡くなった祖父も、昨年亡くなった父も
山に杉を植えて手入れをしていた。

私が子どもの頃、有峰の国有林から
材木を伐採してトラックが運び出し、
植林をするということが大々的に行われていた。

標高600程もある、山深い寒村の林道は
いつもトラックが走っていた。


「木は楽しみやで。何年も、何百年も先に楽しみがある。」
祖父はそう言って、山に入っていた。



部落の道は「しんこう木材」という会社の私道だった。

そんな小さな集落で私は育った。

今、もう人は誰も住んでいない。
家は朽ち果て、人が通う家が2軒残っているだけだ。

けれども、昔植えた杉の木の山はそのままある。手入れができないので

林業組合に依頼して間伐材の伐採事業が行われたという。

どんなことになっているのか、ということで

母を連れて出かけた。

                
杉の木は大きくなる。景色が変わってしまっている。この部落跡地までの道は
右が切り立った崖。
道路は路肩がずりおちたりしていて、急こう配の急カーブ。
運転しながら、足が震えた。

国道41号から7キロほど、懐かしい土地にたどりついた。

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s-NCM_0555.jpg               


湧水のおいしい水をいただくs-NCM_0566.jpg


山のいたるところに、山の神が祭ってあり、手を合わせながらNCM_0564.JPG歩いた。

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木材の輸入自由化は1964年に行われた。
それまで、父たちは本気で「今、木を切りだす。そして植林するサイクルを
守っていけば、ずっと仕事がある。」と私に語ってくれた時もあったのだ。

木材の自由化は非情だった。
あっと言う間に山には何の価値もなくなってしまった。

そうなってからも、祖父は毎日山に出かけ
下刈をし、枝打ちをしていつくしんでいた。

今、こうやって森林の中を歩くと
その空気、風、落ち葉、土 なんと豊かな営みと大きな懐が
私を包み込んでくれることだろう。

祖父がいるような気がする。   NCM_0556.JPG
私自身ではこの森を守りゆく力はないことが残念でならない。


売る、売れるというお金の動きだけで経済を測っていては
捨ててしまうものがたくさん出てしまう。

     
この森の杉の木は、しかしそんな人間世界の動きには
関係なく豊かに大きく育っていた。

林業自由化から、50年がたつ。 








posted by tukusi at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 普段の暮らし 
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