重複障害のお子さんほど手話を身につけなければの わけ
重複障害のお子さんほど手話を身につけなければと
強くおもうようになったのにはわけがあります。
桃を開所してすぐの年ですので
前述の、今度高校を卒業するみなさんの家族が
つくしっこへ相談にみえたの年の
1年か2年前です。
恵那市在住の方から相談が入りました。
とある、市の窓口でつくしのパンフレットを見た
今、30代の息子の暴力で悩んでいる。
聴こえない、知的障害の息子です、とのこと。
この方は
聴こえないとわかったとき、一度は岐阜市まで相談に行ったけれども、
通えないし、また主障害が知的だったので
養護学校に通い、卒業後は地域の施設に入っている。
施設でも暴力があるが、家につれて帰ると父親にもっとひどい
暴力をふるい、荒れて困っています、という。
無謀にもその時私は
うちには、彼を受け止められる施設はないけれども
大阪はどうでしょう。と
なんと、恵那から春日井の桃に来てもらい
桃の運転手さんと、日帰りで大阪仲間の里をめざしたのです。
彼は、ろう重複でした。
おしっこをしたくなると、外にいたらその場でおしっこを始めます。
お母さんはあわてて、道の端にひっぱっていました。
行く途中、一緒に食事をしました。
人のものと自分のものの区別がなく
普通に、運転手さんのお皿に手を伸ばしていました。
確かに中学部にいたときに、人の食べ物、自分の食べ物の区別が
ついていない生徒さんに出会ったことがあります。
異食もあり、食べ物の区別もついていないのでした。
そのころ、中学部でおこなっていた、体を使ったアプローチ
動作法などですが、そういう働きかけを通して、彼は人のものと
自分のものの区別がつくように変わっていきました。
区別がつかないということは、自分の体の境界が認識できていないという
ことで、自分の意思で手が動き、食べているのではなく本能で
食べている状態なので、人の食べ物も自分のものなのです。
この時は彼の腕や、体幹に他者が働きかけることによって
自分の体と人の体の区別、自動と他動の違いなどが脳に認識されていったのでは
ないかと思います。
その生徒さんは、やがて人のものはとらなくなり、ゆっくり目的的な歩行をするようになり、
指差しがはじまり
めきめき成長していきました。
なので、その日出会った彼が
30代にして、言語的には指差しが出る前の発達段階であり、
たぶん、まわりに手話や身振りがいっさいなかったから
人のものが欲しい時に、「ちょうだい」と言っていることも
「いいよ」といっていることも聞こえていないので
何ひとつ、人間らしいルールを身に着けるすべがなく
そりゃ、だまってとるよな・・と思いました。
ろう重複の人にこそ手話が必要と思った体験でした。
この時相談を受けた方は、あまりに過酷な大阪行きを経験し
お母さまは預けられる施設が近くにあるだけでもありがたいことだから
もう一度施設とがんばってみますということで
この件は終わっています。
この体験の後に
東海聾学校校長会主催の講演会で
つくしの話をすることになり
ろう重複の人にこそ、ろう教育を!ということを
お話しいたしました。
posted by tukusi at 14:15|
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